リアル脱出ゲーム10周年記念企画として、これまで支えていただいた方々に取材していこうというこの企画。第3回に登場していただくのは、パズルや謎の制作者である千石一郎さんです。昔からリアル脱出ゲームとかかわりの深い千石さんに、初期のリアル脱出ゲーム、そしてそれが生み出されたころのSCRAPについてお話をうかがいました。
ボードゲームパーティの告知を見て、SCRAPに「お手伝いしますよ」と連絡しました
──そもそも千石さんの肩書は何になるんでしょうか?
分からないです。パズルやアナログゲームを作っていますが、アナログゲームの方は「仕事」という感じではないので、今は「SCRAPさんのパズルを作っている人」ですかね。パズル制作以外にも、公演のブレストに出たり、ゲームブックの監修をしたり、謎解きウエディングを担当したり……。少し前までは公演の司会もしていましたね。
──SCRAPにかかわるようになったきっかけは?
SCRAPが京都でフリーペーパーを出していたころに、誌面でボードゲームの特集をしていたんです。そこに載っていたボードゲームパーティの告知を見て「お手伝いしますよ」って加藤(隆生/SCRAP代表)さんにメールしました。当時、ボードゲームのインスト(ゲームのルールや流れの説明)をどうするかっていうのは自分のテーマで、これは京都で適当にやられるわけにはいかんな、みたいな(笑)。本当にふらっと行ったので……今思ったら、向こうはびっくりしたやろうなって思います。だから最初は謎とかパズルとか全然関係なく、イベントのお手伝いで行っていました。
──そこからリアル脱出ゲームの制作を手伝うようになった経緯は?
ボードゲームのイベントを手伝うようになって、事務所を訪れたときに『あるビルディングからの脱出(2007年)』の話を聞いたんです。当日行けなかったので、大まかな流れや仕掛けを聞いて「おもしろそう!」って思って。実際に初めてお客さんとして参加したのは『HEP HALLからの脱出(2008年)』。そのあとにリアル脱出ゲームではないですが、『京都宝探しの宴(2008年)』にも参加しました。これは今では考えられないような公演で、お昼の回では長時間炎天下のもと歩き回らされるし、夜の回は「何時以降は閉まっちゃう」って場所をチェックポイントにしてたからそこで進めなくなっちゃったり。謎が解けてマンションの場所と部屋番号が分かって「チャイムを押せ」と出てきて、本当に押して大丈夫? みたいなのとか(笑)。でも、それがおもしろかった。そのあと『HEP HALLからの脱出』の2も3もお客さんとして行ってたんですけど、事務所に出入りするうちに手伝うことになって、HEP HALL第4弾の『ある飛行機からの脱出(2010年)』ではパズルも作ったし、司会もやりました。
HEP HALLリアル脱出ゲームの第4弾。飛行機に爆弾が仕掛けられたことから物語が始まる公演だった。
──もともとパズルは作っていたんですか?
パズルは遊んではいたけど、パズル作家というわけではなかったです。制作を請け負うことになって……いい感じにできたんでしょうね。そのまま今に至ります。
リアル脱出ゲームは「売れるぞ」とかは思わなかったけど「とにかくおもしろい」とは思った
──千石さんがかかわった中で、特に印象に残っている公演は?
リアル脱出ゲームではないのですが、『京都1000人の宝探し大会』の2回目のネタが好きです。地図を折って裏にでっかい矢印が出るってやつ。あとはもう謎解き系ですらないのですが、BAR探偵で3人1チームでやった「人狼」が印象的でした。役職を書いた帽子みたいなのを頭にみんな付けるんだけど、その作りが小学生以下のクオリティで、みんな手で押さえながらやってたのとかおもしろかった(笑)。あとは水平思考ゲームのイベントとか、『ネコ男爵からの挑戦状(2011年)』とか、『スパイ小作戦(2012年)』とか……SCRAPではいっぱいいろんなイベントをやっていて、リアル脱出ゲームが大当たりしたけど、それ以外のイベントもおもしろかったです。
『京都 1000人の宝探し大会』はくるりが主催する京都音楽博覧会内のコンテンツ。2008年から2012年までSCRAPが制作を担当した。
──かなり初期からリアル脱出ゲームにかかわっていらっしゃいますが、「これは今後大きくなるぞ」っていう兆しはどこかで見えましたか?
やっぱり東京に事務所ができたときですね。例えば劇団やバンドでも、拠点は京都にあって、東京で公演やイベントをやることはあるじゃないですか。SCRAPも、何回か関東で『廃倉庫からの脱出(2010年)』やよみうりランドの『夜の遊園地からの脱出(2010年)』などの公演はやっていて、そこから東京に事務所を作る! ってなったときはびっくりしました。ずっと加藤さん1人でやってて、たまちゃん(かわかたたまみ/SCRAPコンテンツディレクター)が第1号の社員になるってときも驚いた。株式会社になって、組織になって、東京に行って……その都度驚きましたけど、ここまで大きくなるとは……ですよ。
『夜の遊園地からの脱出』では千石さんも司会を担当していた。よみうりランド奥谷さんによる制作の経緯や裏話は前回の記事に。
──最初にプレイしたときにこれは売れる! と思いました?
全然思わなかった(笑)。本当にいろいろやってたイベントの1つだったので。「売れるぞ」とかは思わなかったけど「とにかくおもしろい」ってなりました。それは自分がパズルやアナログゲームが好きだからとかではなく……最初の公演なんてパズルなんかないですからね。例えば五角形のものが何か見つかって、これをどうするんだ? 同じ形のところにはめよう! はめたらどうなる? 装置が動いた!……っていう、むしろ「何が起こるかわからないからおもしろい」って感じでした。売れてびっくりですよ。自分がこれで生活できているのが信じられない。
みんなバラバラだけどお互い批判することもなく、おもしろいものがあればやろうぜっていう感じで生まれたのが「謎」
──イベント以外で印象に残っていることは?
昔のSCRAPの会議は楽しかったなあと思います。今だって椅子に座ってかっちり……ってわけじゃないけど、今の事務所には仕事で行っている感じがして。懐古的な話ばっかりになってしまうけど、昔のSCRAPは誰がふらっと来ても構わなくて、狭い事務所に十何人かが車座になって話していて、あの部室感というかツレの下宿感というか……狭いなあって言いながら紙コップで乾杯するような、あの感じが懐かしいですね。ああいう居場所があって、そういう空気でやってて、お金も出なくて……って中で、何かおもしろいことはないかなって話して作っていったんですよね。集まった人もそれなりにみんな好きなことがあって、音楽が好きとかイベントが好きとかジャニーズが好きとか、みんなバラバラだけどお互い批判することもなく、おもしろいのがあればやろうぜっていう感じ。その中で生まれたのが「謎」で。でも、思い返しても謎とかパズルとか作れる人なんて最初ほとんどいなかった。
──いろんな人の生活を変えてしまったリアル脱出ゲームですが、今後どうなっていくと思いますか?
謎に限らないイベントができていったらいいな、と思います。それはまたリアル脱出ゲームを発明するくらいの発明だと思うんですけど……。リアル脱出ゲームは物語を体験するゲームですが、それ以上にもっと純粋に物語を楽しめる”何か”。謎に限らず、何かあるんじゃないかな、と思います。単純に映画を見る、演劇を見るじゃなく、もうちょっとこっちが能動的に何かできる物語ができたらいいなって思います。手伝えることがあったら手伝います。謎も作りますし、司会もやります。
──では今後SCRAPはどうなっていくと思いますか?
SCRAPはSCRAPで、謎の会社として頑張ってもらって、謎解きイベントの雄として確立していってほしいですね。それで、子会社で変なイベントばっかりやる赤字部門みたいなのを作ってほしいです。このイベント人件費ばっかりかかるやんけ! でもおもろいな、みたいな。50人のお客さんに同じくらいスタッフ使ったり、丸1日かかってみんな日焼けしまくる、みたいなやつ。
■千石一郎プロフィール
せんごくいちろう/パズル・ゲームデザイナー。これまで数々のリアル脱出ゲームで謎制作を行っているほか、E-pin企画の「ミステリーナイト」イベント制作にもかかわる。また、ゲームレーベルJosee designを主宰し、アナログゲーム制作も行う。著書に『謎解きアドベンチャーBOOK 不思議な地図~26の世界~』(スモール出版)、『あなたクエスト』(リットーミュージック)がある。
※本インタビューは再構成した上でSCRAP出版より2017年6月発売予定の『リアル脱出ゲーム10周年記念本(タイトル未定)』にも掲載します。お楽しみに!
(2017年2月17日収録:インタビュー&構成/福森みほ、撮影/有光悠希)