リアル脱出ゲーム10周年を記念して、コンテンツディレクターのインタビューをお届けしております。第2弾は、古くからのSCRAPファンには、ナンパブログ『そめいけ!ナンパ船』や漫画『がんばれ!ミカちゃん』(SCRAPイベントラインナップに現在も連載中)の作者として、最近では『たかおとソメカワのゲーム実況』でも知られる「ソメさん」こと染川央のインタビュー。SCRAPスタッフ一のゲームマニアでもある彼、実はたくさんのコンテンツを作っているんです!
SCRAPに入るのはハードルが高いと思ってずっと躊躇していた
──SCRAPとのかかわりを教えてください。
一番最初は京都の国際マンガミュージアムでやった『夜の学校からの脱出(2009年)』ですね。そこでボランティアスタッフをしたのがきっかけです。僕、大学を卒業してからずっとふらふらしてて、SCRAPにかかわる機会をずっとうかがってたんですよ。前からSCRAPのことは知ってたし、リアル脱出ゲームにも参加したこともあったんですけど、フリーペーパーの誌面から漂うリア充感を見て(笑)、自分が行くのはハードルが高いなって躊躇していたんです。でも、あるときリアル脱出ゲームのボランティアスタッフの募集を見て、これならできるかなと。それをきっかけにSCRAPに参加し出してから、僕が暇であることがバレまして(笑)、いろんなイベントのスタッフをしているうちに、気づけば京都アジトの店長を任されて、大阪ヒミツキチの店長になって……みたいな。
リアル脱出ゲーム初の個人戦。今ではおなじみの「脱出成功者はこちら!」という仕掛けもこの公演が初めて。
──フリーペーパーも作っていたんですか?
イベントのスタッフをしたのをきっかけに、週に1回の編集会議にも顔を出すようにして、インタビューしてテキストを書いたりとかしてましたね。
あとは、2010年に名古屋で開催された『終わらない学級会からの脱出』に行くために車に移動していたときに、代表の加藤から「キミ今何やってんの~」「いや、フリーターでふらふらしてます~」「じゃあなんか、ブログ書いてや~」って言われて、週に1回ナンパをして、それをSCRAPのブログに書くってことを3カ月間やり続けたんですよ。京都のいろんな場所で「お茶しませんか?」って言って、毎回フラれて、次はこうしよう…みたいな。それが意外とニッチな人気が出まして(笑)。
初演は2009年、IID世田谷ものつくり学校にて。たびたび再演される名作で、この3月にも仙台と横浜でリバイバル公演が予定されている。
──今のSCRAPのイベントラインナップにも載っている漫画もそのころから?
そうですね。ナンパの連載が終わって、「じゃあ次は漫画描け」って言われたので、4コマ漫画を毎週描いて、まず集英社に持ち込みに行ってボコボコにされて、いろんな人に相談しつつ、また描いて持って行って……っていう様子を連載していたんですけど、それもそこそこニッチな人気が出まして。今のイベントラインナップを読んでる人たちは、「なんでこいつ4コマ描いてんねやろ」ってたぶん思ってるんでしょうけど(笑)、それがきっかけです。
──SCRAPにかかわる前、最初に体験したリアル脱出ゲームは何だったんですか?
『HEP HALLからの脱出2(2008年)』ですね。僕大学が嫌すぎて、あんま学校に行ってなかったんですよ。ただ馴染めてなかっただけなんですけど(笑)。そのときにハマってたのがWebの脱出ゲームで、それを友達と一緒にやるのが楽しくて。で、ある日先輩が『HEP HALLからの脱出2』のチラシを持ってきたんです。「うわ、パソコンの中でカチカチやってた脱出ゲームが、リアルでできるやん、すげー!」みたいになって、友達4、5人くらいで乗り込んだんですね。それがめちゃくちゃおもしろくて。そこで、SCRAP自体に興味を持つようになって、何とかしてかかわる方法ないかなあ~って思っていた。それで最初の話に戻るんですけども。
脱出ゲームの元祖『クリムゾン・ルーム』とのコラボ企画。チーム戦ではなく一公演30人の全体戦だった。
──なるほど。じゃあリアル脱出ゲームを作るようになったのはいつぐらいから?
2012年にアジトオブスクラップが京都もできるときに、その店長にならないかとかわかた(たまみ/初期からのSCRAPスタッフ)に声をかけてもらって。そのとき僕はまだボランティアスタッフで、SCRAPで何か仕事ができたらなって思ってたんですけども、当時は今のような常設店もなくて、ベースになる場所がなかったんですよね。もうあきらめて就活するか~みたいな感じで、今さらエントリーシートを書き出してたときに(笑)、京都で常設店をやるから店長になってみない?って声をかけられて。
──店長になる前はコンテンツ制作はやっていなかった?
全然やってなかったですね。ブレストにはちょこちょこ参加はしてたんですけれども、がっつりイベントを作る方には行ってなくて、イベント当日におもしろチェッカーみたいなことをやったりしてました。あと大阪で『ある円形闘技場からの脱出(2011年)』をやったときに、急きょ僕が600人くらいの前で初めて司会をやったんですよ。そこで「こいつ司会できるな」ていう風になって、僕も調子に乗って(笑)、そこから司会をちょこちょこやるようになりました。
「ナンパしろ」「漫画描け」と同じ流れで、「リアル脱出ゲーム作れ」と振られた
──アジト京都の店長になってからは、どうやってコンテンツを作るように?
最初は東京で始まった『謎の部屋からの脱出(2011年)』を京都に持ってきていたんです。でも長くやっていると、どうしてもお客さんが少なくなる。そこで京都アジトが最初の場所から移転するときに、京都で1本オリジナルを作ろうっていう話になったんです。そのときに加藤に「じゃあ作ってよ」って振られまして。それまでの「ナンパしろ」「漫画描け」と同じ流れで、「リアル脱出ゲーム作れ」みたいな(笑)。そこで京都アジトのスタッフ何人かで、『パズルルームからの脱出(2013年)』を作ったのが一番最初です。ディレクションをしてるっていう意識も全くないまま、自由に作らせてもらったみたいな。
京都アジトのオリジナル公演第1弾。参加者は首に爆弾付きのチョーカーをはめられて脱出に挑んだ。
──もともとパズルは好きだったんですか?
全然得意なわけではないんですけども、当時テーブル上でのリアル脱出ゲームが中心になっていく中で、僕はもともとのWebの脱出ゲームにあったような、あらゆるところに不思議なギミックがあって、それを動かしたりして突破していくみたいなものが好きだった。広い空間で小さく探索するんじゃなくて、「部屋をどれだけ大きく使えるか」っていうコンセプトが自分の中であって、それに実際パズルを作れる堺谷(光/SCRAP初期からのスタッフ)や、千石(一郎/パズル作家)さんに協力してもらいながら作ったんです。
──その次に作ったのは?
『魔王城からの脱出(2013年)』です。『パズルルームからの脱出』はベーシックなWebの脱出ゲームを意識して作ったものだったので、2つ目はそのその対極に行くものにしたかった。ファンタジーな世界で、それぞれが役割を持ってという。あと、京都のスタッフってみんな愉快なやつらなんですけど、そのスタッフが生きる脱出ゲーム……要はコミュニケーションを取りながら謎を解くっていうことができるじゃないかって思って、RPGを舞台にした『魔王城からの脱出』を作りました。結果的に、10人のお客さんに対して4人のスタッフがかかわるっていう、とんでもなくゴージャスな脱出ゲームになっちゃったんですけど(笑)。
参加者がそれぞれ職業を持ちRPG的に進行するリアル脱出ゲーム。実は全公演の中で満足度No.1を誇る。
Webの脱出ゲームの本来の遊びを大事にしたいと思っています
──その後、大阪ヒミツキチの店長になって、オリジナル公演を作るんですよね。
はい、京都で2年間店長をやったあとに、「今度大阪でヒミツキチっていうのを作るんだけど、ソメくん行こっか」って言われて(笑)。そこで作ったのが『最終兵器工場からの脱出(2014年)』です。大阪ヒミツキチって、ヒミツキチの中でも屈指の広さなんです。照明も豪華で雰囲気のあるお店なので、シチュエーションは工場かなと。そこはアジトでリアル脱出ゲームを作った経験をすごく生かせましたね。
──その辺りからコンテンツ制作が増えていった?
『最終兵器工場からの脱出』の翌2015年に『惑星オリオンからの脱出』、名古屋ヒミツキチで『ペーパーキングダムからの脱出』というふうに、ちょっとずつ大きいホールでの作品にも挑戦させてもらいました。あとは大阪ナゾビルの『古代遺跡エルドラドからの脱出』、ヒミツキチラボで『あるハイジャックからの脱出』、周遊系では『なんば地下帝国からの脱出』『巨大UFO目撃事件』とか。2015年はめちゃくちゃ作りまくってましたね。当時、大阪のヒミツキチでは相変わらず司会もしていて、制作と並行していたんです。でもリアル脱出ゲームの需要が増えていく中で、コンテンツを作れる人をもっとたぶん増やしたいっていう会社の意図があったと思うんですけども、店長をやめて東京に来て。それから作ったのが『巨人に包囲された古城からの脱出』『暗号王国からの脱出』『監獄アルバトロスからの脱出』『大迷宮バハムートからの脱出』(すべて2016年)ですかね。
『ファイナルファンタジーXIV』とのコラボ作品。現在、東京・大阪・名古屋・札幌・福岡でZeppツアーを敢行中。
──ゲームを作るときに自身で意識していることはありますか?
僕は、お客さんが「こういう空間に放り込まれないと絶対に取らない」っていうアクションを起こさせるのが大好きなんです。世界観、物語っていうよりは、ほふく前進したり、首に爆弾を着けられたり、「必殺剣!」とか言ってポーズを取ったり……。ゲームの中で、どれだけそこでしか起こり得ないような体験とか構図を作れるかっていうことは大事にしてると思います。テーブル上で謎を読み解くおもしろさももちろんあると思うんですけども、自分はどちらかというと実体験が伴うものが好きなので。
──では最後に、今後の展望を聞かせてください。
今リアル脱出ゲームは、大きいホールでどんどん豪華な装飾とか演出がなされたり、新しい技術を採り入れたりしていて、それを大きくしていくことももちろん大事だと思うんですけど、自分は今でも一番濃い体験ができるのはアジトだと思っているんです。「閉じ込められた世界の中で、1時間以内に鍵を見つけて脱出してください」っていうシンプルで分かりやすい世界、Webの脱出ゲームの本来の遊びをすごく大事にしたいと思っているので、そういった遊びが身近に体験できるような場所を作っていきたいです。アジトの作品をもっともっとたくさん作っていきたいし、そこで得たものを大きいホールにも生かしたい。ミニマムなWebの脱出ゲームの楽しさを、どうたくさんのお客さんに感じてもらえるかっていうのは、たぶん今年の挑戦になりそうな気がしています。
※本インタビューは再構成の上、SCRAP出版より2017年6月発売予定の『リアル脱出ゲーム10周年記念本(タイトル未定)』に掲載します。お楽しみに!
(2017年1月26日収録/インタビュー&構成:保坂沙英、大塚正美、撮影/佐藤哲郎)